「宝塔」第229号
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勢い(元気と勇気)

 多忙な人ほど色々な用が出来てくるものだ。

 暇で何もすることなく一日が暮れるような人には誰も仕事を頼みもしない。(例外もありますが)

 忙しい忙しいとつぶやけば次々とやることが増える。そこで忙しいことは良いことだ、仕事のあるのは有り難いと喜べば少しは落ち着いた気持ちになれる。

 ふと親のことを考えてみると・・・。「親もまたそうか。”親父(おやじ)の苦労。思い出しては、懐(なつ)かしい”」と、「おやじの海」の歌を口ずさむ。

 どんな時にも平常心を保つとよいと聞かされるが、本当に多忙な時ほど難しい。あれもこれもやらねばと思うと焦りも出てくる。

 しかし、用が起きてくれば落ち着いてはいられない。立ち上がり、元気を出して出発だ。前進だ。突っ張って走りだす。さあ走って行くぞとなる。航空機だって飛び上がる時は全速力で疾走するのだ。勢いだ。

 中山安兵衛(やすべえ)が叔父(おじ)の菅野(すがの)の身を案じ、江戸牛込(うしごめ)天竜寺竹町の長屋を飛び出し、高田の馬場まで砂巻き上げて、宙飛ぶ如く駆けて行くその勢いだ。それにつられて皆が付いて駆けていった。その勢いが村上兄弟一門十八人をなぎ倒す。安さんは高田の馬場の決闘で武勇をあげた。

巨富を築いた

 紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)が嵐の中を紀州から船出して、みかんを見事江戸に運んだその度胸の良さとその勢いが大したもんだ。(江戸中期の豪商)

 仏陀はインド・ガヤのほとり尼連禅河(にれんぜんが)で村娘スジャータの乳粥(ちちがゆ)を受け菩提樹の蔭で大悟される。

悟りを開かれたから一週間はパニアンの樹の下で瞑想にふけられ、次ぎの一週間はムチヤリンダの樹の下で坐して悟りの境地をお楽しみになられた。それからラージャーヤタナという樹の下で一週間解脱のよろこびを味あわれたといわれています。

 そこにインドの神様、梵天(ぼんてん)が現れて、「どうぞ悟りの内容を人々の為に説いて下さい」とお願いするのです。

 仏陀は、「私の悟ったこの法は、深遠で、見難く、難解であり、静寂で、絶妙であり、思考の域を超え、微妙(みみょう)であり、賢者のみよく知るところである。ところが世の人々は、執着(しゅうじゃく:欲に心を囚(とら)われてそこから離れられない)のこだわりを楽しみ、執着のこだわりにふけり、執着のこだわりを嬉(うれ)しがっている。だから私の悟ったこの教えを説いても理解は出来ないであろう、さすれば私に疲れだけが残るだけだ」

 すると梵天は「願わくば甘露(かんろ)の法門を開き、あまねく人々に伝えれば中には理解する者もございましょうからどうぞ説いて下さい」とお願いする。

 釈尊も最初は考えていらっしゃったが伝道(でんどう)をはじめることに決意された。

 師であったことがある、アーラーラ・カーラーマに説こうと思われたが昨夜亡くなり、ウッダガ・ラーマブッダに説こうと思われたが七日前になくなっていた。それなら五人の仲間に説こうとベナレスに向かって歩いて行かれた。その途中ウバカという行者に出会います。

 釈尊は彼に「私は正覚を得て仏陀になった。教えはこう」と説かれますが、ウバカは「あるいはそうかもしれませんね」と言って立ち去って行った。

 次ぎにソン河(ガンジス河の支流で川幅が2キロ以上もある)を舟で渡ったら船頭がお金を下さいと言った。仏様はお金が無いと答えられます。船頭は顔をしかめていた。それ以来河を渡るに舟に乗るとお金がいるから空中に飛び上がって渡ることになさった。後になって船頭は、仏様はお金を持っていないと分かり無料で渡すことになる。ブッダガヤからベナレスまでは270キロほどあります。バスだと8時間位、歩いて行くとしたら2週間位はかかると思います。仏様はベナレスの郊外サールナートに到着されます。

 リシバタナ(仙人が集まる所)で五人が仏様を出迎えた(迎仏塔)がございます。

 一人が”ゴータマが来た”と言います。その時です。仏様は270キロも歩いておいでになってよろよろになって、お疲れだと思われますが、実は仏様は勢いよく颯爽(さっそう)として歩いておいでになった。力強く歩いておいでになった。その勢いがすごかった。はじめ五人はお会いしても誰も言葉を交わさない、席も勧めないと約束していたが仏様の勢いに負けてしまってすぐに挨拶を交わしそして席を勧めた。

 釈尊は「我は正覚を得て仏陀になった」と申された。その言葉の力強さ、その勢いのすごかったこと。

 時に釈尊三十五歳。紀元前428年6月28日頃ではなかったかと私は思う。サールナート・ミガダーヤ(ミガとは鹿のこと;ダーヤとは苑ということ)。鹿の苑。鹿野苑(ロクヤオン)です。仙人が集まっていたところです。仙人はリシ、バタナは集まる。リシバタナと言います。

初転法輪

釈尊は五人に法を説かれた。四諦(したい)の法門です。

  • 苦諦(くたい)        迷いのこの世はすべて苦である

  • 集諦(じったい)    その苦の因は愛執である

  • 滅諦(めったい)    その愛執を滅することが理想の涅槃(ねはん)の境地

  • 道諦(どうたい)    その涅槃に至る因として八正道を実践修行しなくてはならぬ

八正道

  • 正見(しょうけん:四諦の道理を正しく見ること)

  • 正思惟(しょうしい:正しく考えること・正しい思考)

  • 正語(しょうご:正しく語ること)

  • 正業(しょうごう:正しい行いをすること)

  • 正命(しょうみょう:正しい生活をすること)

  • 正精進(しょうしょうじん:正しい努力をすること)

  • 正念(しょうねん:正見を得る目的を念じ忘れないこと)

  • 正定(しょうじょう:正しく清浄な禅定(ぜんじょう)に入ること・心の動揺をはらって安定した迷いのない境地) 

 法輪(ほうりん)を転じる。毎日釈尊が教えを説かれた。ベナレスの町へ托鉢(たくはつ)に行き、二人が托鉢に行き四人で話し合う。

 転法輪の結果、アジャンタ、アッサージ、カーデンヤー、ドーツデイヤ、バッパーの五人が帰依(きえ)して六人となる。すると釈尊は次ぎにマガダ国のビンサーラ王との約束を実行しよう400キロもある王舎城(おうしゃじょう)に向かわれます。

 仏様は歩かれたのです。その道すがら法を説かれて、王舎城に行くまでに千二百五十人の弟子が出来たと聞きます。その勢いの盛んなこと。お金持ちの子「ヤサ」をそのヤサの友達四人、次に友人五十人を出家させます。

 バラモン行者で火を崇めるカーシャバ三兄弟を教化されます。その弟子一千人も仏教に帰依します。

王舎城でビンビサーラ王と会われ、王が帰依します。竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)はビンビサーラ王とカランダカ長者の奉納です。

 また王舎城で懐疑論者(かいぎろんしゃ)サンジャヤの弟子だった舎利弗(しゃりほつ)、目連(もくれん)が帰依します。後に釈尊の二大弟子と言われた人です。その時、サンジャヤの弟子二百五十人も仏教に帰依します。説法第一の富楼那(ふるな)尊者はベナレスで帰依します。

 仏陀が家族から離れてから七年目に、父の国カピラバァストに帰られます。父王は大いに喜ばれました。仏陀の妻ヤショーダラは子ラーフラを仏陀の所で連れて行き遺産を下さいと要求します。仏陀は解放を求めていると考えて出家させます。ナンダ(義弟)はじめ五百人の釈迦族の青年が出家します。すごい教化力です。

 コーサラ国の首都舎衛城(しゃえいじょう)に赴かれます。有名な祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)です。スダッタ長者が金貨を敷きつめて買い取ってそこに精舎を建てた。(6エーカー、7356坪)

 かくの如く仏教は日の出の勢いでインド国中に広がって行くのです。その勢いが大切なのです。意気込み元気。

仏様の努力は大勇猛精進です。私共も元気と勇気。

勢いに乗って、法を広めましょう。

勢いに乗って、仕事に励みましょう。

その場合場合に応じて、よく考えてください。善事をなすには、特に勇気が必要です。

                                                                                          合掌

宝塔第229号(平成11年2月1日発行)