「宝塔」第282号
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 感謝を生活に

 仏教の中に「仏滅後二千年を過ぎると末法万年闘争堅固(とうそう・けんご)の世となり」とありますが、人が金や物に執着(しゅうじゃく)を持って、親子や兄弟までも金や物で相争う時代が万年も続くとのことです。最近の調査で若い適齢期の娘さん達のアンケートで、お金のある人と結婚をしたいという考えを持っている人が一番多いとありました。結婚をしてみると相性が悪いからとか、意志通りにならないからとかで子供の将来も考えずに離婚するのです。それも三十代から五十代の前半にかけて、妻側から申し立てる事が多いそうです。
 結婚しても相手に不満があればいつでも離婚が出来ると言う、この様な安易な考え方が社会通念となっている。離婚がおもわしく実現出来なければ、益々溝が深まり自分の好きな事を勝手にするようになる。これがやがて相手を殺す事となったり、自殺をする事にもなりかねない。夫婦が少しづつでもお互いに助け合う事が出来思いやりがあれば何でもない事なのです。
 最近、躍進を遂げているサラリーマン金融の事でも、借りる人の心掛けの問題で、借りた金は必ず返さなければならないのに行き詰まると他の店で借りて廻している。よって利子がどんどん嵩(かさ)みすぐ破産状態になる。そして蒸発したり自殺をしたりという事にもなり兼ねない。借りた金の使い道を新聞やテレビで見ますと、お酒やギャンブルで使った場合が多いようです。自分の楽しみの為に生命を失ったり、家族をも苦しめる事になる訳です。 娯楽の為に使うお金を掴もうとする所に誤りがあるのです。もっと真剣に働いて行く事を考えればよいのですが、人の考え方の中に何だか大きな誤りがある様です。こうした大人の思いの中に育つ子供たちはどんな生き方を覚えて行くか真に心配です。
 夫婦の中でも金や物の事で喧嘩をしていれば、子供でも家を出たくなります。その子供は親を軽蔑する事になります。又、勉強にうるさい親ですと、毎日、勉強勉強と子供を追い立て、息抜く所も無くなります。こんな親を尊敬出来るでしょうか。子供には子供の世界があります。何の為に勉強するのか、目的もなく、只テストの点数が良ければいいと思っているうちに、やがて遊ぶ事もお金を使う事も覚えます。家で親の言う事を聞かない子供の行く先はどの様になるのでしょう。少しでも親が、子供に思いやりを持って話し相手になってやる事です。勉強の大事さと先生の大切さも教える事です。近頃よく聞くのですが、ちょっとの事で先生に文句を言ったり、友達とのトラブルの一つ一つを先生に告げる様では子供が駄目になるのです。学校の事は全て先生に任せて行くこと。親自身が学校は大切な学問を教える大切な先生がおられるのだと信頼の心で接して行けば、自然と先生を敬う心が養われるのです。
 家庭の中にあっても、祖父母が少しくらい考え方が古くとも、口うるさくても、大切なお父さんを育てて頂いた大事な人である事を教えて行けば、当然、子供もおじいさんやおばあさんを慕う様になります。すると、家の中が明るくなり楽しくなり、こうした中で成長して行く子供に間違いはありません。今、必要な事は家庭の立て直しをする事です。そして、その大切な事は信仰です。只、拝んだり願ったりする信仰でなく、仏も先祖も親も敬うものでなければなりません。こうした心があれば他人でも信じるし、学校の先生にも信頼が持てる様になります。先ず親が子供の手本となって、こうした心で生きて行く事です。
 或るご家庭での出来事です。子供が病気で高熱を出して苦しんでいて、両親が寝ずに、冷やしたタオルで三晩も看護をしながら神にも仏にもすがりたい気持ちでいる時に、この教えに縁がありました。教えられた事は「子供を思う心はどの親も同じで、貴方も小さい時には病気もしたり、怪我もして、親に心配をかけてありますから、しっかりと亡き両親の供養をしなさい」と言うことでした。この方は反論しました。
 「私の親は普通の親と違い、終戦後、復員をしてから、お酒やメチルアルコールを呑んでそれがもとで昭和二十三年に亡くなり、私が七歳の時、母親が突然いなくなり、父親の兄さんの家に預けられ、毎日邪魔者扱いされて一日一日を暮らしていました。両親に対しては恨みや憎しみこそあれ、死んだ両親をおまつりをしたり、供養をする気持ちなど毛頭ありません」
 と当時の辛かった事を思い出したのか、目に涙を溜め、睨むようにして、
 「小学校五年の二月、どしゃぶりの雨の日に、学校の土間で友達と雨の止むのを待っていると、友達はお母さんが傘を持って迎えに来てくれて、一人、又一人と帰ってしまって、私だけ一人になり、しょんぼりと雨空を見ていると、担任の先生が『さあ、家まで送るよ』と傘をさしかけて、先生の傘の柄の上に私の手をのせてトボトボと歩いていると先生が『寒いね』と体を寄せ合った時の手のぬくもりが今も、手のひらに感じ、他人の先生でさえ、こんなにも優しいのに両親は好き勝手な事ばかりして、愛情のひとかけらもないと両親を恨み、涙が流れました。私には辛い事のみで妹が七歳の時、風邪がもとで、息苦しい中から『兄ちゃん、白いご飯が食べたい』と言いながら叔父さん夫婦に気兼ねをしながら死んで行きました。こんな両親でも、おまつりをして、供養をしなければいけませんか」
 と言われました。
 何一つ、小さい時の思い出の中には楽しい事も無く、今日まで生きて来たこの方から見れば当然かも知れませんが、子供の可愛くない親はいないのです。我が子が可愛いのなら、親にはかわりがありませんから、おまつりし供養してあげることです。それはどうすれば善いか。
 この方は、
 「小さな仏壇を買われ、紙に両親と小さい時に亡くなった妹の名を書き、奥さんのお母さんの名前も一緒に書き、四人の命日の日には、今いる子供の好きな物をお供えし、その日には、三人の子供と共に手を合わせるのです。お坊さんにお経をあげて頂くのでもなければ、自分たちもお経は知りません。只お参りをするだけで、夕食の時には命日の日だからと、少し御馳走をしてあげて下さい」
 と教えられたことを実行しました。すると、子供達も丈夫で大きくなり、アルバイトをする様になり、「今度は、お父さん、私がお供えを買って来るから」とお父さんの好きな物や、お母さんの好きな物をお供えする様になり、結婚しても命日には二人でお参りに来るからと言ってくれたそうです。そして、
 「家の中に毎月、楽しい日が四回もあるのです。近所の人達の話を聞いていると、親子が断絶して、大きくなると、子供が何を考えているのか少しも分からないと、こぼしている人が多いのです。それに比べて私の所の子供達は安心している事が出来ます。今にして思えば、子供の病気が縁で仏様の教えを聞かせて頂き、先祖や親の供養をする様になった事が、こんなにも子供達や家の中を明るくするのかと、毎日亡き親に感謝して、お参りをさせて頂いている身を心から喜んでいます。信仰とは特別な事をするように思っていましたが、毎日家の中で出来る事なのです。月に一度は教会へもお話を聞きに行き、より深く仏様に感謝をしています。毎日、テレビや新聞で色々な問題を見て、何故、親が自分たちの生活を明るくする為に努力をしないのかと思います。私も自分の思い通りにならない時が多くありますが、生きる事にこれぐらいの事は誰にでもあると思えば何でもありません」
 とおっしゃっています。幼い頃の親に対する恨みも憎しみもいつの間にか忘れ、今では信仰の尊さを心に感じ、仏・先祖・親に感謝する生活をしておられます。
 末法にあっては、法を軽く見たり、疎んじて行くから、多くの人は、僅かな事で争ったり憎しみ合う事になります。 今大切な事は、家庭の中で、お互いに助け合ったり、思いやりのある生活をして行けば、何の苦もなく楽しい人生を造る事が出来ます。これも信仰という柱があるからであります。

合掌

宝塔第282号(平成15年7月1日発行)